STAY BANK TARO
田老拠点
田老拠点では、⽥⽼防潮堤と旧街区痕跡からなる⼟⽊遺産の中に、「⽥⽼1号陸閘扉体」を防災のシンボルとして保存します。
(扉体の現所有管理者は岩手県。2017の廃棄決定を受け、現在は県とPR45の間で譲渡協議中。)
SERVICE
「田老土木遺産」は、昭和8年の三陸大津波後に、旧田老村が村費で築造を断行した円弧上の「防浪堤」と山に最短で逃げる放射線状の避難路から成る、津波防災都市計画と現地痕跡を総称して指します。
東日本大震災の津波が高さ10mの防浪堤超えて町を破壊し、災害復旧の過程で避難路のほとんどが嵩上げとともに姿を消しました。PR45は公共の土木構造物の断片を現地に現物で保存してきました。撤去されたもの、埋設されたもの、位置が移動したもの、それら見過ごしがちな痕跡から土木遺産全体の思想がわかる「土木遺産ガイド」を行い、可視化するコツをお伝えします。
土木遺産ガイド
完全予約制
ガイドオプション ¥2000
昭和三陸⼤津波から今年で90年。試行中の「⽥⽼⼟⽊遺産ガイド」は10個の痕跡から防災⼟⽊を考える1時間半のロケーションハンティングツアーです。
将来的には、扉体の管理棟を設置し、1組限定の防災キャンプを⾏いたいと考えています。これにより、いかなるときも危機意識を持って三陸を旅して頂くことを⽬標とします。
田老1号陸閘扉体
戦争で中断して完成した昭和津波後の土木遺産と、3.11後の解体を伴う災害復旧工事による痕跡
3.11の津波は高さ10mの防潮堤を超えて町を破壊しました。その中⼼部で海と陸とを分けていたのが「田老1号陸閘扉体(縦横約4.5m・重量5t)」です。この扉体は、震災時に消防団が津波から町を守るために最後に閉鎖し、「15分ルール(注)」発祥のいわれのあるものです。
津波で崩壊した防潮堤の復旧⼯事と嵩上⼯事の過程で、避難路が消滅したことにより、機能的に不要となり撤去されましたが、震災伝承のためには重要な史料です。
2017年に岩⼿県に対して保存を訴え、現在はPR45への譲渡⼿続き中です。⽥⽼付近の景観は、リアス海岸と海成段丘のちょうど境⽬に当たり、三陸ジオパークの景観的魅⼒と津波被害に対抗する岩⼿県最古の防災構造物たる防潮堤の機能を同時に伝えることのできる唯⼀の場所だと言えます。
注:15分ルール=一番遠い活動場所(水門)から高台までの避難に4分30秒の時間を要することから、地震発生から津波の到達(予想)までの所要時間である20分から避難時間である5分(4分30秒+余裕時間30秒)を引いた15分間を活動可能時間とした。
田老防潮堤
震災前の田老防潮堤は、海側高さ10m、陸側高さ5m、3つの防潮堤から成るX型で、総延長は2,433mありました。
昭和8年の三陸大津波の翌年に最初に着工された第1防潮堤は、津波から町を守る円弧状で、赤沼山に最短で逃げられる放射線状の避難路と一体で計画されたものでした。道路交差部には隅切りが施され、夜間でも見通しよく工夫され、長い間、防災計画の手本とされてきました。
第1防潮堤は浮力による倒壊を恐れて川の内側に造られましたが、後に宅地を求めて第2・第3防潮堤が川をまたいで造られ、海に向かって居住の場が拡大したことが田老の人的被害を大きくしたと言われています。
防潮堤の過信と震災の記憶の薄れ。これが田老の津波被害を大きくした原因だと言われています。
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